第10回 拡大版慶應産業精神保健カンファレンス《「健康 well-being」な働き方》〜開催レポート

2018年8月30日、第10回産業精神保健カンファレンス拡大講演会が開催されました。

 

昨今の働き方改革において、医療の分野でも様々な課題が取りざたされ、ますます産業保健への注目が集まる中、今回は、ストレスや病気の軽減といった観点とは異なる、「幸福学」の視点から議論を深める会となりました。

この日のテーマとなった《「健康 well-being」な働き方》について、日本の幸福学の研究における第一人者、前野隆司教授を講師に招き、ご講演いただきました。当センターの三村將教授によるご挨拶、白波瀬丈一郎特任准教授による指定討論、および、佐渡充洋医師が加わっての「健康な働き方」をテーマとしたディスカッションも行われました。約100名の参加があった、当日の模様をお伝えします。

 

▼講演

前野隆司先生/慶應義塾大学大学院 システムデザイン・マネジメント研究科 教授

▼指定討論

白波瀬丈一郎/慶應義塾大学 医学部 精神・神経科学教室/ストレス研究センター 特任准教授

▼司会

佐渡充洋/慶應義塾大学 医学部 精神・神経科学教室/ストレス研究センター 専任講師

 


 

講演『幸福学から捉えた働き方改革』前野隆司先生

※講演の内容を抜粋してご紹介します。

 

 

もともとはエンジニアとして活躍されていた前野先生。かつてはロボットの開発、AI(人口知能)の研究がご専門でした。

 

当初、人間の心を応用してロボットに埋め込もうとしていましたが、人間の心には、まだまだ解明されていないことが多いと知りました。なぜストレスを感じるのか、どうしたら幸せになれるのか……わかっていないのなら、人間の心のこと、そして「幸せ」について研究してみようと考えました。

 

前野先生が研究の対象としている「幸福学」は、予防医学、応用倫理学、ポジティブ心理学など、各分野を横断する重要な学問に位置付けられています。

 

心理学の分野で使われる「well-being」という言葉は、日本語に直訳すれば、「良き在り方」ですよね。体の良き在り方とはすなわち“健康”であり、心の良き在り方とは“幸せ”である。well-beingとは、幸せと健康と福祉を包み込む言葉だと言えるのではないでしょうか。

 

私は、「健康で幸せな働き方」において、このwell-beingがとても大切な要素になっていると考えています。

 

働き方改革が推進される日本では、経営・人事・健保のそれぞれの文脈で、イノベーション、ストレスチェック、リーダーシップ、ワークエンゲージメントが重要とされ、最近ではマインドフルネス、健康経営などの分野も注目されています。

 

働き方を見直す上で、それぞれの分野で取り組んでいる課題が統一的に扱われるとよいのではないでしょうか。そのために、それらを包括する「well-being経営」を提唱しています。

 

バブル崩壊後、日本の企業は徹底して無駄を排除し、効率を重視してきました。しかし、ただの雑談のように思える、人々のきめ細かな心の交流まで排除してしまって、果たしてそれが効率UPにつながるのか。人間の心は、無駄がなければ働ける、というものではないはずです。

 

働き方改革では、労働時間の短縮、すなわち「時短」を推し進めていますが、現実の仕事量に合わない、無理な時短を強いることに対して、前野先生は警鐘を鳴らしています。

 

時短を強要されることは、「やらされ感」につながります。やりがいを感じない仕事をすることで「幸福度」が下がることは明確です。

アメリカではすでに研究が進み、実証的なデータで解明されています。幸福度が高い社員は、そうでない社員と比べて、生産性が1.3倍、創造性は3倍となり、利他性も高い。また、欠勤率や離職率は低くなっているのです。

幸福度の高い状態で生き生きワクワク働くことによって、結果的に働き方改革の推進につながるのではないでしょうか。

 

 

前野先生は、過去の主観的幸福に関する研究結果を統合し、因子分析を行い、幸せの「メカニズム」の解明を図りました。

 

因子分析の結果、以下の4つの因子の上にあらゆる幸せがプロットできることがわかりました。

 

《幸せの4つの因子》

・自己実現と成長の「やってみよう因子」

・つながりと感謝の「ありがとう因子」

・前向きと楽観の「なんとかなる因子」

・独立と自分らしさの「ありのままに因子」

 

この4つの因子を満たそうと努めることで、個人の在り方や関係性の質が向上し、幸福な経営が実現できると考えています。

 

前野先生は、社員の幸福度に着目している企業の事例を示しながら、それぞれの会社の理念にあった幸せを見つけることを勧めます。

 

大事なのは、健康診断と同じように、幸せ(well-being)をきちんとした形で測ることです。幸せについて理解を深めた後に、「幸福度の計測→幸福度を高める活動→幸福度の計測」と繰り返し行うことで、well-beingの向上、引いては、well-being経営へとつながります。

幸福を分解して計測し、心身ともにいたって健康な人の幸福度を向上させることは、より広い概念として、社会全体のパフォーマンスを上げることにつながるのではないでしょうか。

 

学問としては、さらに深める余地のある幸福学。前野先生は今後、医学の分野とも連携した研究によって、幸せへの理解をさらに深め、多くの人のwell-being向上を目指したいと、講演をくくりました。

 

 

指定討論『「健康 well-being」の厚み』白波瀬丈一郎先生

白波瀬先生は、前野先生の講演を受けて、精神科医の立場から、「結果として幸せであるか」ということだけではなく、「幸せに至るまでのプロセス」が重要になる可能性に触れ、パネルディスカッションで議論したいポイントを整理しました。

 

 

人は、「幸福」を求めるプロセスで、自分に都合よく物事を捉え、自らが取り組むべき課題から目を逸らし、悩んだり落ち込んだりするのを回避することがあります。すなわち、「幸せフィルター」が働く、ということです。

昨今、安全配慮義務とか合理的配慮という言葉をよく耳にします。これらの考え方自体は大変重要だと考えます。ただ、言葉だけが一人歩きして、「他者から何かしてもらって当たり前」「あって当たり前」という意識を正当化することにつながるのは問題だと、私は問題を感じています。

例えば、周囲への配慮に欠く行動をする社員に注意をしたとき、「なぜいけないのか?」と言い返されると、会社のほうも「配慮して、 Yesと言うべきなのかもしれない」などと、そうした意識を追認する風潮がある気がします。

 

精神科医で「夜と霧」の作者のヴィクトール・フランクルが、講演録の中でインドの牧師タゴールの詩を引用して述べた言葉があります。

 

『幸せは、決して目標ではないし、目標であってもならないし、さらに目標であることもできません。それは結果にすぎないのです』

 

この言葉が伝えてくれているのは、幸せとは直接目指して手に入るものではなく、今ある環境下で、自らが行うべきこと(義務)に取り組む、その結果として得られるものだということです。換言すれば、「自らが行うべきこと(義務)に取り組む」というプロセスの重要性を述べていると思います。

また私は、このプロセスが実は幸せにつながっていることを明らかにする「一緒に付き合ってくれる人」が必要だとも考えています。なかなか幸福を実感できなかったりつらい思いしか自覚できない人に対峙して、「育て鍛える」役目を果たす人です。

 

この「育て鍛える」役目を果たすときに、前野先生の挙げられた幸せの4つの因子は、大切な役割を担ってくれるのではないでしょうか。

 

「それは“やってみよう因子”ですね」とか、「“ありがとう因子”にあたりますね」というように、本人がクリアにしていくべきことや、幸福に向かって進んでいることなどを明確にし、指標として活用できるからです。

 

幸福というのは特別なことではなくて、そこここにあって、それをどうやって見つけてみんなで実感していくのか、そうした「プロセス」と「プロセスを促進する人」について、ディスカッションしたいと思います。

 

パネルディスカッション――前野先生・白波瀬先生・佐渡先生

会の後半は、前野先生のお話をベースに、幸福に至る「プロセス」に焦点を絞ってディスカッションが行われました。また、参加者からの質問を交えながらの議論も展開されました。

 

※以下、敬称略

前野:白波瀬先生のお話で出たフランクルの言葉、興味深くお聞きしました。幸せを目指そうとしても、何をどうすればいいのかはわかりませんからね。私は、幸せを「努力」や「感謝」などの要素に分解して捉えることが大事だと思っています。成長を目指すことや利他的であることが幸せにつながる、ということです。また、なんとかなる因子が含む「楽観」は、 “いい加減”とか“回避”という意味ではなく、非常に強い意思や、自己を信じる心を示しています。

 

白波瀬:確かにそうですね。幸せとは、楽をするとか、手を抜くということではなく、いかに一生懸命になれるか、という文脈で区別することがとても大事なのでしょうね。

 

佐渡:マインドフルネスでも、幸福や症状の改善、すなわち、「結果」を求めていいかという議論がよくなされます。しかし、少なくとも最初は、幸福になりたい、病気を治したいという結果を求めてもいいと私は思っています。大事なことは、過程のなかで、それにしがみついていることがむしろ幸福を阻害している、目の前のことに丁寧に注意を向けることが本当の意味での幸せに繋がる、という気づきが起きることです。そういった気づきを得た人が、ガラッと変わる瞬間を多く見てきました。

 

 

質問者:様々な幸福経営を実践する会社の事例がありましたが、一社員が訴えてもなかなか通らない難しさを感じています…。

 

前野:確かに、トップが変わらなければ、なかなか幸せな会社にはなれないかもしれませんね。まずは一つの部署など、小さな組織で試してみるのはどうでしょう。その部署が幸せになれば成果も出てきますし、それを見ていた周囲にも変化が起きるかもしれませんよね。幸せは移りますから。

 

質問者:私は精神科医ですが、精神疾患の方のなかには、ありがとう因子のような「つながり」や「感謝」を感じることが困難に思う人がいるのですが、その点へのご意見をお聞かせください。

 

白波瀬:ありがとう因子というのは、もしかすると「信頼の因子」という言い方に置き換えられるかもしれません。診療の場面での患者さんと医師との関係でいうと、医師に対して、安心できる、信頼できると思えるような関係性を作っていくことが、患者さんの「ありがとう因子」を高めることにつながるのでしょうし、それが精神科医の役割だと思います。既存の価値観、考え方にとらわれるのではなく、「こういう信頼関係の作り方もいいですね」など、我々がどのくらいオプションを持てるかが、幸福を見つけやすくするアプローチになると考えています。

 

 

質問者:それぞれの組織の“メンタルヘルス”と“カルチャー”のせめぎ合いをどうしていけばよいとお考えか、コメントをいただきたいです。

 

前野:今日私がここに呼んでいただいた意味は、医療、経営、エンジニアリング、そして心理学といった別の分野が手を取り合うという、第一歩の会だと思っています。それぞれの分野で課題がありますが、うまく連携したら、全体的な問題の解決につながるのではないでしょうか。

 

白波瀬:アプローチの違う人たちで両方から挟み込みで実践を示せると、もう一つ変わっていくのでしょうね。

 

 

佐渡:前野先生が語られる“ポジティブサイコロジー”と、ネガティブな感情を扱う精神医学とに共通点があるのか、正直不安なところがありました。しかし、今日の議論で、幸福学の領域で使われる概念も、その意図するところや文脈をきちんと理解してみると、精神医学の領域でしばしば語られる概念ときちんと通じていることを改めて実感しました。前野先生には、今までとは少し違った視点を吹き込んでいただき、それをもとに議論できました。本日は大変貴重な機会となりましたこと、改めて感謝申し上げます。

 

(取材:後藤菜穂)